プロ野球界にまた一人、
ファンに深く愛された男が
バットを置いた。
読売ジャイアンツ、
そして広島東洋カープで
プレーした長野久義選手。
そのキャリアは華々しく、
そして何よりも“人間味”に
満ちた野球人生だった。
2度のドラフト拒否から始まった「信念の道」
長野選手といえば、
まず思い浮かぶのは
“信念の人”という言葉だ。
大学時代、社会人時代と
2度にわたりドラフトで
指名を受けながら、
「ジャイアンツでプレーしたい」
という思いを貫き、入団を断った。
普通なら“もったいない”と
言われるような決断だが、
それだけ巨人への憧れ、
夢へのこだわりが強かったのだろう。
そして3度目の正直。
2009年、
ついに読売ジャイアンツから
ドラフト1位指名。
念願のジャイアンツ入りを果たした。
その瞬間、ファンも
「ようやく長野が巨人のユニフォームを着た」と胸を熱くした。
華々しい活躍、そして突然の別れ
入団後はすぐに
チームの主力として活躍。
俊足・強肩・勝負強い打撃
まさに万能型の外野手だった。
新人王を獲得し、
WBC日本代表にも選ばれるなど、
その存在はジャイアンツの
顔として多くのファンに愛された。
だが、運命の転機は2019年オフ。
広島東洋カープの丸佳浩選手が
FAで巨人に移籍。
その人的補償として、
長野久義の名前が発表された。
このニュースが流れた瞬間、
日本中が驚いた。
「まさか長野が?」という
声があちこちで上がった。
そして、本人にとっても
大きなショックだっただろう。
巨人一筋を貫くはずだった夢が、
思いがけず終わりを告げた瞬間だった。
カープファンの温かい歓迎、そして“人間力”
広島ファンは
3連覇の立役者丸選手が
ジャイアンツに行き、
寂しい思いをしているところに、
長野選手の入団の話を聞き、
まるで自分のチームのスターが
帰ってきたかのように歓迎した。
「長野がカープに!」と街が沸き、
球場では背番号「5」の
ユニフォームを着たファンが増えていった。
最初は複雑だったに違いない。
だが、長野選手はその環境の中でも、
決して言い訳をせず、
チームの一員として全力を尽くした。
ベテランとして若手を支え、
ベンチでは常に笑顔を絶やさなかった。
その人柄がチームに溶け込む
スピードは驚くほど早く、
やがて“カープの兄貴分”として
精神的支柱になっていった。
ジャイアンツ戦での満塁ホームラン ― 両チームのファンが拍手
ある試合を今でも鮮明に覚えている。
東京ドームでの巨人戦。
長野久義が、かつてのチーム相手に
放った満塁ホームラン。
その瞬間、スタンドは揺れた。
驚いたのは、巨人ファンの反応だった。
敵チームの選手であるにもかかわらず、
東京ドームの一角からは
長野への拍手が湧き起こったのだ。
かつてのスターを称えるその光景は、
スポーツの枠を超えた
“敬意”そのものだった。
巨人ファンもカープファンも、
同じ選手を心から愛していた。
そんな選手は、そう多くはいない。
「ユニフォームを脱ぐならジャイアンツで」
2023年オフ、広島東洋カープは
長野に無償トレードを提案した。
「ユニフォームを脱ぐなら、
やはりジャイアンツがいいだろう」
――この言葉に、広島球団の粋な計らいが詰まっている。
その想いを受け取った長野は、
再び古巣のユニフォームに袖を通した。
あの背番号「7」が東京ドームに
戻ってきた瞬間、
ファンの目には自然と涙が浮かんだ。
それは“帰ってきた息子”を迎えるような、
温かい拍手だった。
そして、引退。53名の仲間が駆けつけた奇跡の会見
そして2025年、ついに引退を発表。
会見場には、なんと巨人の現役選手
53名がサプライズで登場した。
仲間たちが自然と集まる――
それこそが、長野久義という
人間のすべてを物語っている。
記録ももちろん素晴らしい。
だが、それ以上に人の心を動かす
“人格”があった。
どんなチームに行っても
慕われ、愛され、尊敬された。
その証が、あの会見の光景だった。
最後に ― 長野久義という生き方
長野久義という選手のキャリアは、
波乱に満ちていた。
だが、そのどの瞬間も彼らしく、
誠実で、まっすぐだった。
夢を追い続け、仲間を想い、
ファンに笑顔を届け続けた。
“どんな環境でも自分を信じて全力を尽くす”
そんな姿勢が、多くの人の心を打ったのだ。
巨人のスターとして、
広島の兄貴分として、
そして日本プロ野球の宝として――
長野久義という選手は、
永遠に記憶されるだろう。
長野久義さん、本当にお疲れ様でした。
あなたの野球人生に、心からの拍手を。